創造神が手ずから作り上げた「宮城リョータ」の物語――映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観たって話

宮城リョータ……令和の世界へ……ハッピーバースデー……!

あとはネタバレしかないので注意してくれよな。うっすら原作の山王戦、パンフレットやre:SOURCEにも触れてます。色んな意味で最初から最後までずっと歯を食いしばることになって顎がいてえ。

 

 

映画「THE FIRST SLAM DUNK」を観てきました。これを楽しめたのは「井上雄彦御大を崇拝している」「リアタイ世代でも原作への思い入れはほどほど」「何も知らない初見」で、アニメないし原作がとてもとても好きだった人はおそらく複雑な感情を抱いた人も少なくないと思います。自分はおそらく原作、アニメもリアタイ履修済みでドストライク世代にかなり近いほうだと思うんですけど思い入れはほどほどで、放送前のプロモーションに疑念がありつつも観に行った結果とても楽しめたので、そのあたりは想像なんですが。

 

ただ本当に、原作終了後から四半世紀が経過してからこれほどの情報を創造神が最先端技術も併せて手ずからお出ししてくるなんて尋常じゃない奇跡、かつて宮城リョータのオタクと化した人間が前世で世界を救ったのは間違いないと思うんだけど、たぶんここで宮城リョータのオタクになる人間がこれからの未来で世界を救うんだと思う。そこまでしてやっと与えられた恩寵と釣り合いが取れると思うんだ。

 

それはさておき。やはり、ぱっと出てくるのは劇場アニメというより「漫画の映像化」ってところですね。細かいことを言えば井上御大としてはまだ言いたい部分があるのかもしれないけど、素人レベルからしても「どこを切り取っても原作マンガのタッチそのままで映像が動いている」ってのは、アニメーションとして異常ですよ。もちろん理想形のひとつではあると思うけど、そもそもアニメってそういうものではない。今回はかろうじて映画というパッケージだったからたまたま可能なラインに到達してしまっただけで、テレビアニメでは絶対無理だった。

ちょっと話が逸れるけど、あと少し企画の動きだしが遅かったらどこかの配信プラットフォームの独占とかになってたかもしれない。それで今回みたいなプロモーションだったら絶賛してる声や興行収入といった目に見えたヒットを示す指針は記憶にも記録にも残らず、インターネッツの歴史としても損失だったと思う。独占配信は悪ではなく、作っている人たちにきちんとお金が入るのも重要だけど、長期的に楽しめる一方、配信直後に面白かったのかどうだったのかみたいな声が拾いにくいにはデメリットだと思うので、そこまで解決してはじめて全面的に賛成できるのかなという気持ち。

話を戻して。井上御大自身も、初めてで何かも手探りになった結果みたいなこと仰ってるけど、普通だったらまずやらないし、できないやり方だった。おそらく、ほぼ全シーンにおいてチェックと手直しをしてるっぽいもんな……しかも恐ろしく細かいニュアンスの部分で。間違っているわけじゃないけど、まごうことなき創造神の思い描いた正解ではないみたいな修正をしていくの、もちろん井上御大自体も疲弊しただろうけど、現場も死ぬほど大変だったろうな……というのは察するに余りある。

井上御大が「感性で描いてるので言語化を避けていた」「人に任せるのが苦手」みたいなこと仰ってて、それはそうだろうなという気持ち。でも映画はひとりで作れるものではないから、その苦手な部分に向き合わなくてはならなかった。でもその結果として得られたもののひとつに「絵が上手くなった」って言ってるの、恐ろしい……!!って思ったよ。おそらく一言で表すなら的な、ひどく単純な物言いになったとはいえ、我々では到達できない高みからですらそういう言葉が出てくるの。

いい悪いでなく、同じ年に上映した映画として、この対極にあるのが尾田栄一郎氏であり「ONE PIECE FILM RED」だろうなと。もちろん長く続いたアニメシリーズという土台があり、すでにスタッフサイドと原作者に信頼関係があるし、確かすでに別の映画でも関わっていたという経験もあるだろうから、想像にはなるけど尾田先生にとっての「自分のやりたいこと(「THE FIRST SLAM DUNK」と同様に本編で触れられていない、触れられるか不明の要素を描く)」と、アニメ・映画・スポンサーサイドとしての「エンターテインメント(=興行収入)として時流に合わせて届けたいもの」を、うまくすみ分けながらも合わせ技としてお出しできたんじゃないのかなと思います。おそらく漫画原作の劇場アニメ化として、関係者もファンも全方位が幸せになれる理想のタイプだと思う。

一方で「THE FIRST SLAM DUNK」は井上御大の描きたいもの、ファンに届けたいものではあったろうけど「井上御大の脳内映像の抽出」というのがマストという時点で、もはや事実上、ゲームで言うならインディーズ作品のようなものというか。おそらく締め切りみたいな概念はろくに設定できなかっただろうし、そんなんだからほかのコンテンツとのタイアップとか、徐々に盛り上げていくみたいな手広いプロモーションもやるにやれなかったのかなと。だからってあのリョータの一言すらない無味無臭の予告だけで数カ月しのいだのはどうなんだって気持ちは正直あるが。

 

あとは、時間の進み方がとてもリアルだった。展開上、宮城リョータを形作ったドラマも並行しているけれど、見終わったあとに残っていたのは「バスケットボールの試合を40分くらい見届けた」みたいな疲労感だったので、劇場アニメというよりただただバスケの試合を見せられた感が強い。

漫画なら小さな1コマ、吹き出し1つで済ませられるモノローグ的なセリフも、リアルタイムに進んでいる試合の中ではほんの数秒でも「その間に展開進んでるやんけ」っていう違和感になってしまう。別にそれが悪いということではないんだけど、本作では選手たちの心の声も最低限かつ試合の最中そのもので、それこそ原作の最後に印象的だった「左手は添えるだけ」って一言も、うっすら花道がつぶやいているなってのが分かった程度で明確に言葉にもなっていなかった。演出として時間が止まったようにもならず「人間がスローモーションのように錯覚するギリギリの範囲」みたいな、せめぎ合いの中でのラスト数秒だったなと思う。いちおう原作の結末としては覚えていたので湘北が勝つのは知っていたのだけど、それでも手に汗握る展開を味わえたのはこの圧倒的なリアルタイム性だと思う。

 

しっかし「宮城リョータを主人公に据えたスラムダンク」を見ることになるとは思わなかった。にわかなので「ピアス」の存在も知らなかったけど、言われてみれば確かに宮城リョータという余白があった。個人的には井上御大の「同じものを見せるよりは……」ってのには諸手で賛成するので、見た目そのものは原作タッチの再現にこだわりつつ、リアルタイム性の強い試合や、宮城リョータにフォーカスを当てるという点を重視したゆえに面白いエピソードもガツンと切り捨てたところは潔くて最高でした。

個人的には原作でちょいちょい入ってた海南大付属の会話も好きだったけど(流川がパスした時に「あの天上天下唯我独尊男がパスをしたんだぞ……!」って野猿が驚愕するとことか)、あの試合を見ている人たちはそんな会話を知らないし。ただ観客席が映った時、多分それかな?って思うジャージの団体がいたような気がすうので、リョータとか我々に聞こえなかっただけで彼らは原作エピソードの会話をしていたんだろうなと思ってます。コンテにはあっても距離的にリョータに聞こえなかっただろうなってセリフはカットしたみたいな話もあったし、このへんはそういう理由でカットしたのかなと。見に来てた母親とかの声もリョータに直接はとどいてなかったはず?だし。

リョータと花道の「イッッッ!」ってやりとりもイイけど、個人的には「ディフェンス1031(イチマルサンイチ=天才)」も2人の仲良しエピソードなので好きだったし、あと流川がパスするって思ったときに花道が一番ゴールの確率がいい位置でパスをもらおうとして流川の速攻を止めてしまって、流川が沢北とかにもパスって手段が刻まれてて隙になるはずって思うところも好きだったよ。あと「歴史に名を刻め~お前ら!」って応援とか。わりと山王戦、覚えてるかもな??

 

それにしても宮城リョータ、こんなセンシティブにセンシティブを積み重ねたようなセンシティブ少年だと思わないじゃねえか……。小学生より中学生のアンニュイさがちょっとおかしい。あんな心に深い傷を負って、それでもバスケットという唯一の拠り所でがむしゃらに頑張ってきた男が、全国制覇ではなかったかもしれないけど亡き兄の掲げた山王への勝利をつかみ取るって、すげえ少年ジャンプじゃん……。

ただこれが後々出てきたの、彩子さんとリョータとの会話で腑に落ちた部分でもありました。原作は花道が主人公で、花道にとってリョータは原作で見たとおりの男なんだろうけど、実は心臓バクバクで試合が怖くて、渡米しても緊張とかでゲロ吐くような男だってこと。それを知っているのは家族とか彩子さんとか、ごく一部なのかなという気持ち。だから井上御大として描けなかった部分だったけど、そもそも描かれなかったのは宮城リョータがこういう男だから仕方なかったのかなと。

 

基本的にドラマはオリジナル、試合は原作漫画ベースだったと思うけど、リョータが円陣で声かけした記憶は一切なかったので、でもあのタイミングでリョータがリーダーシップを発揮するのはとてもよかったな。

 

そういえば最後、沢北にインタビューしてたのってあの……陵南の要チェックやの姉と一緒に湘北とか高校バスケのこと追いかけてて、山王戦に勝った時に写真を撮って……これが自分の記者人生を大きく変えるかもしれないって言ってた若い兄ちゃん記者だったのかな(よく分からない覚え方)。もしあの記者だったのなら、そんな人が沢北を追いかけるくらいだったのなら、あの試合に人生を変えられた一人だとしたらいいなあと思います。

 

にしても山王戦のアニメ化というのは、原作ファンとしても願っていたところだったと思うだろうけど、もしその手前の試合に宮城リョータを描くうえでのフックがあったなら迷わずそっちを描いていたのではと思う程度には、これはスタートが「山王戦のアニメ化」ではなく「宮城リョータを描く」だったんだよな。

 

余談だけど、宮城リョータのピアスってアニメで緑色してたようなイメージがすごくあったんだけど、今回透明?白?みたいで、これが井上御大の正解だったんだな……ってピアスが映るたびに思ってた。原作でも緑だったのか、それともアニメに伴って色がそう指定されたのか。

 

おれはかしこいオタクなので、何の情報もお出ししてこない公式にもかかわらず冒頭の湘北の選手たちが走り出す(白黒)ところで最初にリョータ、次に三井が出てきたところでピーーーーンと来たのだけど、re:SOURCEで最初はリョータの次が花道、流川だったと見て「馬鹿野郎!!!」ってなっちまったし、そうならなかったのはやはり創造神が創造神だったからだよなーと思った。おそらく全編にわたり“そういうところ”があったんだろうけど、それが井上御大(スタッフ側が後々気づいて変えたのかもだけど)によって「正解」がお出しされたのは本当に意味があったなと思う。

 

しっかしある意味、宮城リョータ以上に衝撃だったのが三井寿という男。どこかで見落とししてるかもしれないし、多分に幻覚を含む妄言なのだけど、あの頃の三井って本当にキラキラした少年で、リョータに限らずああいうタイプに声かけてたのかなみたいな。あれっきりになると、結果的に最期というか裏切ってしまったような兄と悪い重なり方をしそうだから、もしかしてあの後も何度か一緒に1on1をやる機会があったんだろうか。でもあんまり会っててもお互い気づいてしまいそうだしな……ってかリョータは神奈川に来てからの原初の救いというか、バスケットボールを続けられた要因のひとつにもなってることだし、うっすら三井のこと気づいていたように思うけど、三井側はあんま覚えてなさそうなのがな……いや三井視点がないので触れられてないだけかもしれないけど。でもなんか、三井にとってはよくある日常の一コマって感じだけど、リョータにとっては山王戦という極限の緊張状態にふと思い返すくらい心の拠り所だったのかな……とか幻覚が見えてしまっていたので、死ぬほど歯を食いしばったことを理解してほしい。とくに三井がベンチで「もう腕が上がらない」つったとき「OK、パス回す」ってノータイムで言ったときが自分にとっての最大瞬間風速だった。

 

あと花道。井上御大にとっての花道って安西先生の評価どおりというか、ちょっと自信家でお調子者だしバスケ初心者だけど、バスケ以外の経験値や才能によってここぞという時に切り札になる男っていうイメージなんだろうな。バスケのセオリーが分からないがゆえに既存の常識に囚われずそこが突破口になるし、そうした部分に気づける嗅覚も鋭い。原作は花道のキレる男という部分と、少年漫画っぽいコミカルさが両軸で押し出された結果、アニメのイメージも相まって井上御大が考える以上に「馬鹿(これは悪口の意味)」の印象がやや強くなってしまったのかなーみたいな気持ち。だからこそ今回は花道らしさを失わない程度にしつつ、山王にも怯まない破天荒さとか、素人だからこその気づきとか、ダメな部分も多いけどここぞという武器(スタミナ、ジャンプ力、リバウンド、押し負けないパワー)もあるぞっていうのが出てたように思うな。

 

声優についても。演じてるお声もだけどお名前もお顔も、イベントとかでの素の喋りも見たことがある方々だったのだけど、名前を見ただけでは正直どういう演技になるのか全然ピンとこなかったんですよね。でも映画館とかでリョータの声だけのPVを見ていたら、ある時ふと「あっこれが井上御大の脳内で鳴ってるリョータの音なのか」とストンとなる瞬間があったんですよね。あとはもう、誰もかれも「ああ、そうなのか」と理解できました。

そして何より、仲村宗悟という男。主要メンツの中で唯一デビュー作から知っていて、ずっとその姿をぼんやり眺めていたこともあり、井上御大が求める宮城リョータであり、宮城リョータにこの瞬間に出会うべくして出会った男だと思う。彼が沖縄で生を受けて声優としてデビューして、宮城リョータに相応しい男となったときに、この映画あってよかった。笠間さんも声優発表会の時のお話しといい、パンフレットのお話しといい、三井を背負うこと「運命」だったと思うので、とくにこの2人が宮城リョータ三井寿を背負う時代に生まれてくれていてよかったと思う。

 

あと音楽。テーマ曲のアーティストはまったく知らなかったんですけど、とくにOPはこれといって本作に寄せるつもりはなく作ったと明言してたけど、それでも映画のピースとしてしっくりくるのは井上御大の血肉になっている音楽だからなのかな、とか。EDは完全に映画の一部で、PVで聞きまくったイントロがそのままエンドロールに繋がっていくのはグっときた。歌詞もまんまリョータだし。

これはちょっと悪口になるけど、まあ今もそうっちゃそうだけど当時のアニメっていわゆる「完全に作品のためだけに作られた専用アニソン」か、大人の事情でタイアップかどっちかって感じで、今はそこそこある「アーティストが自分の中に原作を取り入れて言語化した楽曲」みたいなものって多くなかったと思うんですよ。そういう意味で、前のアニメの曲はそれ自体は素敵だったけど別に「SLAM DUNK」の曲ではなかったと思うので、そこにこだわっている人の気持ちは心底分からない。今回のはすげーよかったと思う。

 

 

あとは悪口も書きますけど、事情はある程度察するけど、とにかく情報出しが死ぬほど遅かったのはいただけない。声優以前に、かろうじてカウントタイム音のはいった予告が流れたのが2カ月くらい前?でしたっけ?声優発表が公開1カ月前で、それからリョータの声が入った映像はもう1カ月切ってましたよね。早い段階、少なくともムビチケなどの発売タイミングの時点で過去のアニメとは別モノであること、井上御大の漫画を映像にする点を重視したときっちり出しておけばいらん騒ぎにはならんかったでしょう。コロナ禍みたいな状況もあって明確なゴールが見えず、プロモーション展開をしにくかったのかなってのは理解できるところだけど、少なくとも声優だけは決まってたんだから出せただろうに。

自分は前述のとおりそれほど思い入れがあるほうではないうえ、リブートするなら中途半端に残さず声優一新派なので変わること自体に異論はなく、むしろ総とっかえなのは安心できる要素でした。無論、好きな人たちにとっては重要な点なので、そこを変に濁していたのはとても気持ち悪く、すっきりしません。蓋を開ければおそらく原作当時には生まれていなかったであろう若い子や子供などにもウケていたので(休日だったとはいえ観にいったら思った以上にいた)、結果として井上御大パワーでねじ伏せられた感じがありますが、パンフレットとre:SOURCEを見た限り、こんなことできる……というかご本人が仰ってたとおり「できてしまった」なので、ここだけを見て似たようなことする人間が今後出てこないことを祈ります。今の世の中、いいものがいいものだからという理由で正しく評価されるのは本当に稀有な事例で、発売前のプロモーションにかかっているので。まあ、もちろん昔よりジワ売れや口コミにも強く期待できる側面もありますけど。

なんでこんなに言ってるかっていうと、日本だけ「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」の滑り出しが世界と比べて低い(悪いわけではないと思うんだけど)のって、色々な要因があるけど「予告でどんな映画なのかまったく分からない」のもひとつだと思うんですよ。まあまあ雑多に見る自分ですらそうだったので、スマッシュヒットには不可欠な普段あまり映画を観ない層にとって「なんだかよく分からないけど面白そう」ではなく「なんだかよく分からないからいいや」になってしまったんじゃないですかね。知らんけど。

ただ、映画が一番面白いのってある種「予告」である以上、その予告で面白さを感じられないのはダメだろうなっていうのが持論です。まあ別にそこまで「アバター:ウェイ・オブ・ウォーター」が見られてないほど低迷ってわけではないと思うのですけどね、わざわざホリデーシーズンにぶつけた挙句に前作とか今年当たった映画に比べてパっとしないってだけで。