ゲームオタクがSFアクション映画「ザ・クリエイター/創造者」と脳裏を過ったゲームを語る #DBH #Stray #サイバーパンク2077

ゲームオタクがSFアクション映画(たぶん)「ザ・クリエイター/創造者」を見てきました。超面白かったんですけど、それはそれとして「Detroit: Become Human(DBH)」「Stray」「サイバーパンク2077」などのゲームがめちゃくちゃ脳裏を過ったのでその話をします。なので、ここは映画本編のネタバレに加えて各ゲームの話が混在しています。とくに感想らしい感想でもなく、オチもなく、話したいことだけ話してます。

本作はちょっと「AI」を含むものが広すぎるので、便宜上ここではAI=プログラム系統を意味する範囲まで、シミュラント(模造人間)=DBHでいう人間そっくり形をしたアンドロイド、ロボット=Strayでいう二足歩行をして服とかも着てるけど顔はなく、機械としての特徴が強いタイプを指すようにしています。


前置きここまで。パンフの中身がすげえよかったんだけどコーヒーこぼして悲惨なことになってしまった……。


<公式あらすじ>
人類とAIの戦争が続く世界は、AIの全滅を目指す米国とAIと共存するニューアジアに二極化していた。そんな中、元US特殊部隊のジョシュアは人類を滅ぼす兵器と呼ばれる純粋無垢な超進化型AIの少女〈アルフィー〉の破壊を命じられる。しかし彼は“ある理由”から、アルフィーと共にクリエイターを探す旅に出るが…。兵器と呼ばれた少女は、なぜ創られたのか。クリエイターの正体とは。争いの果てに、ふたりが見つけた真実とは?


主人公のジョシュアは米軍側のスパイで、実はAIの創造主とも呼べる存在だった妻のマヤから情報を引き出すために動いていたわけですが、マヤのことは本当に愛していました。でも結果として米軍側の攻撃でマヤを失ったので生きる気力も失っていたけど、妻が生きているかもしれない情報が入ったので大規模作戦に参加し、その最中に超進化型AI……少女のシミュラントの形をしたアルフィーと出会うわけです。アルフィーなら製作者の場所が分かるらしいので、米軍としての行動ではなく妻と再会するため、アルフィーを守りながら旅に出る……という流れです。

その過程でニューアジアでのシミュラントの扱い、シミュラント自身の考え、アルフィーの「個」のような感情などに触れて考え方が変わっていくジョシュアの変化も見どころですね。そもそもジョシュアが“アルフィーという名前”を与えた時点でどうなるのかは決まってたようなものですが。名を与えるというのは、個を個として認めてしまう儀式ですからね。あとはまあ、この手の作品ではよくある話ですが、シミュラントに対人間と変わらない愛情を抱くヒトもいるわけで。

もう最初に「AIを滅ぼそうとする米国」って時点で「DBHやないかい!」ってなりますよね。ルート的には完全に変異アンドロイドと人間の全面戦争の「運命の分かれ道 - 革命」の先っていう感じでしょうか。AIが当たり前のようにサービスへ組み込まれ始めてきた今だから肌で理解できますけど、電子レンジのような家電ですら「AIは入っていません」と明記される米国の風景はだいぶシュールでした。後々これ皮肉だったんだろうなって気もしてきましたけど。

そもそもでいうと、何故「人類とAIの大戦争が起きたか」なんですが、表向きはAIの暴走により核爆発が起きて人間が10万だか100万だか消し飛んだって話なんですけど、それがものすごくアッサリと「人為的なミスだったけどAIのせいにしちゃった★」っていう馬鹿野郎案件だったところで「これアメリカ人が作ったんじゃないな?!」って思ったんですよね。DBHもフランスのスタジオ「Quantic Dream」のだったし(今はもう中国傘下なのでどういう思想でゲーム作っていくのか正直なんとも言えませんけど)。パンフレットに慶応義塾大学の理工学部教授が「西洋人を悪者に見立てるのは珍しい。監督がイギリス人だからかも」って言ってて、まさにそれって思いました。

それと同様にニューアジア(明言されてないけどおそらくロケ地のネパール、インドネシアベトナムカンボジアあたりの国の連合)が、シミュラントやロボットを人間と同等の命として扱い、恐れずに尊重しているのも、よく日本では「ドラえもん」「鉄腕アトム」なんかが例に出されがちですけど、東洋は宗教的な意味でも「人間の形をした何か」を同胞として受け入れやすい土壌(事実はどうあれそう思われている)があるんでしょうね。日本でいう付喪神や妖怪みたいな概念も、モノにも何らかの意思(=神)が宿るという感覚を受け入れやすそうですし。まあ、アメリカ人の監督がそういうの撮らないってわけでもないでしょうし、あくまで我々がもつイメージなのかもしれませんけどね。

で、さらにこちらの教授が続けた「AIに自我や感情が宿るのか?」という話。DBHでは変異体という感情が芽生えたアンドロイドが登場してましたし、Strayのロボットたちは人間でいう感情を宿していたと思います。ただ現状、ChatGPTのようなAIサービスが現実で使われ始めているのを見る限り、自分は「AIは人間が『感情を抱いてほしい』という要求に応えるようなやりとりができる」だけで、決して感情そのものを宿すわけではないと思うようになりました。本作では「人間そのものとしての演技」が要求されていたように(パンフ参照)、シミュラントも人間と同等の感情相当のものが備わっていたというDBHに近いものだったと思うんですが、まあそれはそれ、これはこれで。

それと話が飛ぶけどシミュラントのビジュアル、これ耳というか頭に大きく空洞があいてるデザインなんですけど「仮面ライダーゼロワン」に出てきたヒューマギアも耳が隠れていたんですよね。DBHのLEDリングはわりと簡単に外せてたけど、人間ってやっぱ「顔」に違和感あると何か感じ取りやすいんですかね。まあ分かりやすい場所ってのが一番なんでしょうけど。


話は変わって。本作、まあ人間もシミュラント/ロボットも等しく言葉通りの意味で人権がねえ。記憶を読み取る機械があるんですけど、死にかけた人間のデータを読み取って話すだけ話させて「俺は死ぬのか……」って絶望させながらもう1回死なせるし。ただこれDBHでもまったく同じことをしたので(エデンクラブで撃ち殺した恋人同士のアンドロイドを後々、ちょっとだけ起動させて恋人のフリして情報引き出した)「やるやる!!できるんだったら人間絶対こういうことする!!」ってテンション上がっちゃった。一番最悪なことしたと思うんですけど、それが非常事態とはいえごく自然と行われているので大変よかったです。当時プレイした自分が報われたし、この行為を選択として用意しておいてくれたクアンティック・ドリームありがとう。

人間ではない米軍側のロボットも大概なんだけど、めっちゃ走るR2-D2スターウォーズ)みたいなのが自爆命令を受けるときだけちょっと喋るの人の心ないんか~~??って思ったり。わざわざ自分から望んで自爆してますみたいなふうにすんの(チョト記憶あいまいだけど)、特攻隊マインドすぎて嫌~~になる。自爆させんなら音声つけんなよ!!

あと、チベット仏教の衣装?オレンジ色の袈裟みたいな服装で、ロボットが宗教を信じていたような風景がすごく興味深かったですね。宗教って死への恐怖を和らげるとか、心の拠り所みたいな側面があるものだと思うんですけど、ロボットが宗教を信じることになった過程ってどういうことだろう。この世界のシミュラント/ロボットは「死への恐怖」を抱いているのか?記憶自体はメモリで簡単に移動させてたし、ボディが破損しても移し替えれば恒久的に生きられるのに。ただ、米国とニューアジアの全面戦争の中、そんなことしている余裕もなく破壊されていくから、この状態そのものがロボットたちにも死への恐怖を理解させたのだとしたら、それもそれで非常に面白いなと思いました。少なくとも「埋葬」の概念もあったし、ロボットにも死があり宗教や救いがある、ってのは情緒があるなーと。

武器を持たず、僧侶みたいな恰好のロボットが膝をつかされて、米軍がその無抵抗なロボットをガンガン撃ち抜いて破壊していく様は「人間ならこういうことできるよね」って納得しかなかったし、すごい「人間」しててよかったです。


それと、たぶん詳しく語られていないから想像になってしまうんだけど、マヤそっくりのシミュラントがいたし、この世界では「外見のデータ提供」を広く求めていたけど、既存の人間の外見データがないとシミュラントを作れないのかな?ゼロから人間の外見をモデリングしないことに何か意味があったんだろうか。どっちかっていうと効率的な意味ではDBHみたいに、同じ顔パターンのアンドロイドをベースに中身だけアップデートしていくほうが楽だよね。わざわざどこかの人間と同じ顔を基にしなくても違う顔パターン作れるだろうに、なんでそんな手間暇かけてたのかは気になります。ニューアジアに何かしらの協定でもあったのかな。


日本でも撮影したらしいけど「サイバーパンク2077」みたいなネオンの街並みに燦然と輝く「龍角散」の文字で「ナンデェ?!?!」って現実に引き戻されそうになったのはどうにかしてほしかった。ほかにもカタカナの日本語とかもあったけど、なんで龍角散だったんだよ。文句ではないですめちゃくちゃ笑っちゃっただけで。


あと映画そのものの作り方として、基本的に実写で撮影を行い、そのうえで必要に合わせてCGを加えていくみたいな手法を取って、大作CG映画よりもコストを大幅に抑えられたという話が面白かったです。やりようによってはもっとファンタジー的な世界でも撮れるんじゃないかな。